「他者に関心がない」の裏側に隠れた背景を知ればうまくいく

なぜか会話が成り立たない。いや、会話をしようとしても何を話したら、聞いたらいいかわからない。
お客様と、あるいは同僚や上司と、友人や家族とでさえこんな風に感じる人は多いようです。

「コミュニケーション能力がないのか?」と、悩んで会話術とか話し方、聞き方などを一生懸命学ぼうとするのですが、肝心の「話す・聞く中身」が浮かばないからうまく会話ができない。知りたいこと、聞きたいこと、話したいことが思い浮かんでこないのです。
そうなると「自分は人と会話をするのが苦手」というレッテルを自分に貼り付けてますます会話を遠ざけたくなります。お客様と関わるの仕事をするのなら「相手と会話をしたくない」という気持ちがあったら苦労しますよね。

どうすれば良いでしょうか?

急増中!「他者に関心を持てない」人たちの背景

会話が苦手な原因のひとつとして【他者に関心を持つことができない】という理由が挙げられます。ただ、関心を持てないと言っても、すべての人に興味がないわけではなく《自分の好きな人》には興味が持てるのです。

ここで言う《自分の好きな人》の概念は尊敬や感謝の念を抱ける人、好意的に接してくれる人など基本的に「自分に興味を持って接してくれる人」のこと。自分からは興味は持てないけれど自分に興味を持ってくれる人のことは好き。ちょっと受け身の姿勢です。ひねくれ者のイメージもありますよね?

実はこの受け身の姿勢には過去の背景が潜んでいることが多いです。
その背景とは「本当はもっと自分に興味を持って欲しかった」「本当はもっと自分を見て欲しかった」という気持ちだったりします。家族や友人など身近な人から関心を払ってもらえなかった経験などが「どうせ自分は興味を持たれない人間なんだ」という思い込みと落胆を生んでしまい、誰も興味を持ってくれないなら自分も興味なんか持ってやるか!と、やさぐれた気持ちを発生させることがあります。

「自分から興味を持たない」と(無意識に)決め込んでいるので知りたいとも話を聞きたいとも思えない。「どうせ自分なんか興味を持たれない」と(無意識に)決め込んでいるので、相手が話しかけてくるのも拒絶するようになる。

ですが、自分はそんな気持ちでいるにもかかわらず相手が好意を持って接し続けてくれると安心することができて、「興味を持ってもいいんだ」と許可を出せる。そういう理由で、自分に興味を持ってくれる人のことは好きになれるというわけです。

人に関心を持たなければいけない、ということではない

自分のことを聞かれるのが本当に嫌で話しかけられても自分から遠ざけていたし、当然、私から会話を切り出すなんて皆無。ですが本当の心の奥の奥にあった本音は「もっと自分を見て欲しい」「もっと私を愛して欲しい」という気持ちだったということに、ずいぶん後になって気付く…というのはわりと良くある話です。

どんな人でも本当は心の底で「もっと自分を気にかけて欲しい」という寂しさを抱えているのかもしれません。自分がまず満たされていないから、相手に興味や関心を抱けない。

こちらが関心を示さなければ当然相手も関心を持ってくれるわけがありません。
『売れない』『部下が言うことを聞かない』『チームがまとまらない』『結果うまくいかない』『評価されない』になる一つの要因はここにある気がします。つまりチーム内でコミュニケーションが欠如する理由の一つとして、話が続かない、会話が苦手という人が増えたことです。

だからと言って「人に関心を持てないなんて」と責めるのでも、「関心を持たなければいけない」と強制するのでもありません。そうではなく、相手に関心を持てない自分がいると知る。その背景には「もっと自分に関心を示して欲しかった」という寂しさを押し殺していたひねくれ者の自分がいるのかもしれないと知る。しっかりと自分自身を振り返って『知る』ことが何よりも大切だなのです。

関心が持てないと嘆く前に『観る力』を養う

他者に関心がないということは、相手が何を望んでいるのか、何を考えているのか、などに興味が持てないということです。ですが「一度も人に関心を持ったことがない」という人はいないはずです。

たとえば、片思いの相手がいるとき、その人に振り向いて欲しいと思ったら、もっと知りたい、望みに応えてあげたい、と相手のことをまず考えるものですが、同じようにお客様への興味や関心を持ち続け、興味を行動で示しなさい、という教訓は接客業などでよく例えられます。

好きになった相手や気になる相手のことを知りたいと思うのは当然ですよね。知りたいということは興味や関心を持ったということ。では、興味や関心を持つようになったきっかけって何でしょうか?

それはたぶん、「観る」ということではないでしょうか。

気づいたら目で追っている自分がいて「気になっている」と気づく。その人の近くで「いつまでも眺めていたい」などと感じる。廊下で見かけただけでときめく(あら青春だ…笑)など。元をたどれば、相手を観ることから始まっている気がします。人は接触(目に触れる)回数が増えるごとに親しみや関心がわくというのは、購買心理などでもよく言われる話。逆に考えれば、興味や関心が持てないのはただ単純に観ていないだけなのかもしれません。

興味が湧かずとも「観察」ならできる

相手を好きになるとか、いきなり関心を持て、などと言うとちょっと心理的なハードルが上がりますが「相手をよく観る」ということだったら意識すればできるはずです。相手の様子をちゃんと観察してれば「なんでこういう表情なのだろう?」「どうしてこんな風に考えるのだろう?」みたいな疑問が湧いてきます。

その疑問をフックに問いかけてみれば、それはもう立派な「相手に関心を寄せたコミュニケーション」です。その疑問を元にしてあれこれと仮説を立てれば、それは立派な「相手の気持ちを理解しようとする力」にもなっていきます。

そのときに「相手の良いところを探そう」と思って観れば、褒め言葉が浮かんでくるでしょうし、「相手が困っているところはないか?」と思って観れば手助けできるアイデアが浮かぶかもしれません。さらに言えば「相手のできていないところを探そう」と思って観れば、指摘や批判や愚痴などが浮かんでくるということなのです。

お気づきかもしれません。
もしかすると私たちは、普段からわりと相手を観ているのではないでしょうか?

身近な人ほど肯定的に観れていない

接客販売などの場面だけでなく、育成、上司部下、チーム…どんなコミュニケーションも同じです。相手に興味や関心を持つことからコミュニケーションはスタートするし、その興味や関心は「観ること」から生まれます。

お客様にならできるのに部下や同僚にはできない…というお話もよく伺いますが、身近にいる人ほど「期待」が出てしまうのです。「言わなくてもわかってほしい」「察してほしい」などなど。

普段、部下や同僚はどんな表情をしているか、どんな時に楽しそうにしているか、仕事中の態度はどうか、言動に変化はないか、皆さんはどのくらい知っていますか?もしも答えに自信がないのなら、それは単純に「観ていない」だけかもしれません。

また、観ているポイントが「できていないところ」「不足しているところ」ばかりだとしたら、それは興味や関心が持てるはずもありません。否定的な視線では観ることさえ嫌になってしまいます。肯定的な視線で観てみて初めて、意外な一面や思ってもみなかった表情に「あれ?」となる。それが相手に興味や関心が湧いたということだと思います。

まとめ

「どうせ自分は人に興味のない、残念な人間なんです」と評価を下す前に、自分はなぜ他者に興味関心を持てないのか?その背景を知るための振り返りが必要ではないでしょうか?しっかりと自分自身を振り返ることで見えてくる別の視点や解決策があるはずです。

そして、どんな人と関わるとしても「なんかうまくいかないな」というときにはまず「観る力」が足りているかどうかを意識してみましょう。観るだけならタダですし労力もかかりません。ですが「肯定的に観る」というのはコミュニケーションスキルです。上司に必須のこのスキルを身に付けるためにはコツを掴むことが必要かもしれません。

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