チーム創りコラム

チームの定義は『ありたい姿』の共有です

お互いの手を掴み円を作る仲間

─────チームとはなにか。
今の時代、キーボードを叩けばすぐに答えが出てきます。

「共通の目的、達成すべき目標、そのためのやり方を共有し、連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体とすることがある。実際には、チームといっても目的、目標、やり方は指導者から与えられただけで、変更権がなく共有できていないことがある」(wikipedia)

業務に追われ、人間関係に追われ、生活に追われ、周りを見る余裕などなく、チームでいることを意識しながら仕事に取り組める環境の実現は後回しにされています。そんな、同じ箱の中に無理やり個を収容しただけの職場では、それぞれの利が最優先され、集団である意味や価値が失われてしまいます。

より大きなものが得られ、より良い思いができるのに、それを知らずに1人もがきながら働くことはとても悲しいことです。

チームが目指すのは「同じ想いの共有」

私たちチームクリエーションが指す“チーム”とはなにかというと、目標や目的ではなく、分業や統一性などの機能でもない、もっと根底の『こうありたい』という想いを共有する仲間です。実力や行動を認め合い、その上で自分を主張し、張り合い、託したり、継いだり、ぶつかりながら繋いでいく仲間の集合体。

チームをどうしていきたいのか?何のためにこの取り組みが必要なのか?目指す場所はどこなのか?こうした想いや考えがチームの、部下の軸となり、やるべきことが明確になったり、主体性が生まれます。

これは「働くひとりの人間」として考えても同じかもしれません。
自分自身はどうありたいのか?人からどんな風に見られたいのか?どう評価され何に満足するのか?など、働く上でのビジョンやゴールは個人としてもやっぱり必要です。

「こうありたい」をイメージできない人が多い

この「こうありたい」というビジョンやゴールは要するに”未来”です。
自分の未来、チームの未来…そんなものはわからない(興味もない)という方が多いように思います。

ビジョンを思い描くに当たっては思考のパターンが邪魔をしてくることが多いですね。
できない自分、やってくれない部下、会社の方針、諦めの気持ち、現実主義、過去の慣習や経験、ネガティブ思考、他者の目、現状維持を望む欲求…などなど。

特に未来というのは正解がありません。そこに「叶えられるわけがない」という邪魔が入ることで「考えてもわからない」「イメージが浮かばない」となりがちです。

でもよく考えてみてください。
なぜ、今自分が持っているものの中からイメージをひねり出そうとするのでしょうか?
ゼロからイチを生み出す、そんなハードルの高いことをなぜ自分に課しているのですか?

未来は『創る』よりも先に『探す』もの

未来は自分の手で創るもの/生み出すものと思われるかもしれませんが、それはあくまでも「過程」の話じゃないでしょうか。
創る先にあるゴールはまず「探す」のだと思います。未来は自分たちの手で探すもの、という表現の方が正しい気がします。

探すというのは一言で言うと「真似」です。
他の人はどんな風にしているのだろう?同業他社は何を目指している?何を求められている?
自分以外の場所からそういう情報をインプットし、ひとまず真似をしてみることも「探す」第一歩ですよね。

そういう工夫もせず「浮かばない、生み出せない」と嘆くのはちょっと違うかと。
アイデアを持っていない、考えてもわからないのなら、まず情報を探してみませんか?

「人の真似なんて」と思うかもしれません。
でも目指す過程で必ずオリジナルになるはずです。プロセスまで誰かと同じようにできるわけがないし、結果もまた同じです。それでも「浮かばない」とそこに留まっているよりは確実に進んでいます。

アイデアがなくてアウトプットできないときは間違いなくインプットが足りていません。これは広告業界を何十年も経験された「言葉を生み出すプロ」がおっしゃっていました。何もないところから何かを生み出そうとして自分の首を絞めている人が多い、と。

アイデアは生み出すものではなく探すもの。正解のない未来だからこそ、あるところから探してくればいいのです。
もっとラクに未来をイメージすれば良いと思います。

「承認の力」はチームを元気にする

お互いの力を認め合い、人と人をつないでいくのがチームとお伝えしましたが、日本人は世界と比べても奥ゆかしくて恥ずかしがり屋というのは旧知の事実。「ありがとう」「助かっている」というささいな言葉でさえ、なぜか喉の奥で引っかかってうまく出てこないものです。

さらに言うなら日本人は真面目で勤勉。だから足りないところやできていない箇所を「許さない」傾向がありますから、指摘や否定の言葉なら、すんなりと口から出てきてしまいます。

そう考えると、私自身はとても恵まれた環境で社会を学ぶことができました。思い返してみてもあからさまな否定や行き過ぎた指導をされた記憶がほとんどありません。先輩の背中を見れば「何が求められているか」を察知することができたし、「この人の役に立ちたい」と思える上司にも出会い、いつも「助かっているよ」と言ってもらってやる気を引き出してもらっていました。

すごく自然な形で誰かに貢献することの喜びを身に付けることができたからこそ「もっともっと役に立ちたい」と感じ、仕事に真摯に取り組む姿勢がさらに評価される好循環ができたように思います。

それは、奥ゆかしくて勤勉な日本人の姿をいい意味で「逸脱」した素敵な上司や先輩のおかげです。今でも本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

チームへの所属感と貢献感を与える

同じことを、これからの世代の若い人たちに教えてあげたいと思います。確かに自分の頃は、「見て育て」「失敗して学べ」「自分で考えて動け」など基本、完全放置プレーでしたから(笑)今の時代の教育には合わない部分もあるかもしれません。

それでも、いつも背中を見せてくれる尊敬する上司からの「よくやった」「助かっている」「いつもありがとう」などの言葉に、受け入れられている所属感と役に立っているという貢献感を味わうことができた喜びや満足というのは、昔も今も変わらない、誰もが欲しい不変の欲求です。

社会に出て間もない若い人たちならばなおさら、この欲求は強く持っているのではないかな、と感じます。昔の自分もそうでしたから。いや、新人だろうが中堅だろうが管理職だろうが、もしかしたら経営者であっても。見本となる上司や先輩が自分の存在を関心を持って見てくれて、やる気を認めてくれて、できたことを褒めてくれて、その上で足りないところを助言してくれる。そういうメンターは必要なのだろうと思います。

上司が部下に、先輩が後輩にといった形式だけにとどまらず、指摘や否定じゃない、お互いがお互いを承認し合い褒め合えるようなチームだったら…間違いなく、うまくいきますよね?承認の力は、人に勇気を与えるものだからです。

ひとりひとりが認め合い、成長しながら創り上げるチーム

『そんな組織は幻想だ』と、思いますか?いやいや、そう決め付ける前に、まずは相手に関心を持ち話を聞いてあげるという最低限のコミュニケーションから、信頼関係を作ってみるのはどうでしょう?

「いつでもちゃんと見ているよ」という上司や先輩の姿勢が部下や後輩や新人たちの”やる気”に繋がるということを、皆さんもきっと私と同じように身をもって体感してきているはずだからです。

チームを構成しているのは人です。ということはチームを創り上げるのも人。私たちはは集団も個人も包括して活力に変えていけるような人の成長をお手伝いしています。成長の自覚は、何物にも変えがたい快感と、どこまでも進もうとする意欲をもたらします。私自身、そうありたい。そんな場面に何度も立ち会いたいと願っています。

そのためにも「こうありたい」というイメージをしっかりと描き、お互いの持っている力を認め合い、活かし合い、成長していく。そういう努力こそが「チーム創り」なのではないでしょうか?

※チーム創りのプロジェクト型人材育成『チーム化と顧客のファン化』OJT事業はこちらをご覧ください

 

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