求められる上司像って難しいですね。
仕事ができる、部下を思いやることができる、なんでも知っている、評価基準が明確、威厳がある、可愛らしい弱さが見える、的確なアドバイス、いつでも話を聞いてくれる、計画や戦略に狂いがない、ちゃんと部下を見ていてくれる…一体どれが正解なのでしょう?全部ですか?
どういう上司が「会社から」求められているのか?という点と、「部下から」求められる上司像も、厳密に言うと違う気もしますし、「求められる上司像」を明確に示している会社も意外と少ないかもしれません。
ですが部下の立場から見た「こういう上司は嫌われる」いわゆる「ついていけない上司」の姿は、わりとハッキリしているようです。
ハラスメント等の問題行動はさておき、今回は「部下に嫌われてしまった上司」のケースから、上司として求められる人間性の部分を紐解いてみたいと思います。
3人の営業部長、それぞれの特徴を比較
ある会社の営業部に、5年間で3人の管理職が配属されました。
1人目は緻密な戦略を立てる頭脳派でした。物静かで温和な人柄のおかげで誰からも嫌われないタイプで、アナログの雰囲気がいまだに残るその職場では非常に珍しくIT関連にめっぽう強い。好奇心旺盛な新人たちはその上司にたくさんの質問を浴びせまくり、それでもわかりやすく深いところまで教えてくれるものだから、新人は仕事がどんどん面白くなっていき、ついに会社から実績表彰される人材へと成長する結果になりました。
2人目は、言うなれば現場派です。プレーヤーとしての優秀さを買われて管理職に昇進してからは、異動する拠点の実績をことごとく改善していく力のある人でした。とはいえ「自分の営業力」で実績を上げていたわけではありませんでした。普通は部下がやるような雑用を自ら進んでこなす姿や、得意の交渉事や商談の手柄のほとんどを部下に渡す姿を見せてくれる。そういう姿を見て、部下が自然に「この人についていきたい」と思え、協力の姿勢が生まれました。彼が任された拠点の大半が実績の大幅向上という結果になった秘訣は、管理職である自らが率先して現場の仕事を請け負う姿を見せることでチームワークを作っていた、という点にありました。
そして3人目。この人は前任の管理職が作った実績力やチームワークをあっという間に崩壊させました。
管理職というイスの上にあぐらをかいて仕事は全て部下に丸投げ。自分のやりたい仕事だけ率先して「ほら、私がやっといたから」と言うが、やりたくない仕事は「やっているフリ」をするのが上手。外回りに行くと言ってサボっているのが見え見え。交渉に失敗して尻拭いをするのは部下で、上から圧力がかかればその腹いせに部下の実績低迷を執拗に責め立てる。部下にとって、この課長から叱られる言葉はひとつも頭に入っていません。
「ついていけない上司」と「部下が求める上司像」のギャップ
上司の姿で、発言で、指導で、部下の人生までもが変わってしまうことは往々にしてあります。いい意味でも、悪い意味でも。何が優秀な上司なのか?ということを論じたいわけではありませんが、少なくとも部下に「こういう上司の下では働きたくないな」と感じさせるのは決まって、自分のことしか考えていない(ように「見える」)発言や行動です。
この「見える」というのが難しいところですよね。
前項の3人目の管理職は「拠点の実績を、メンバーを、いつも第一に考えている」と常々口にしていました。彼の中ではそれは事実だったのだと思いますが、本当に考えている人は「第一に考えている」とは言わないものです。
「メンバーを第一に考えている」その表れが、みんなで食事をしようと自宅に招き入れたり、野外バーベキューを企画したり…といった行動。『部内のコミュニケーションを大切にしようとしていて、それはそれでありがたかったけれど、”求めているのはそこじゃない”』というのが部下たちの言い分でした。
仕事への取り組み姿勢によって、どんな努力や工夫も全てが独りよがりにしか「見えなく」なり、彼の一言一言が、一挙手一投足が、「自分のため」一色に染まっているように「感じられた」のが部下にとっての事実。特に異動の多かったこの営業部ではどうしても前任との比較も大きく、この3人の管理職全員の下で働いた部下たちにとって、3人目の管理職は「ついていきたい」と思える上司にはなり得ませんでした。そしてその「差」は、仕事への取り組み方や自分たちとの向き合い方など「人間性」の部分であり、能力は二の次だったというのもポイントです。
足りなかったのは「部下との認識のズレ」を埋めるコミュニケーション力
実は、3人目の管理職に対する評価は、人によっては良いものだったりしました。
ただ「どんな風に見られているか」を考えた時、自分のことはちょっと脇に置きひたすら前だけを見て目の前の仕事に真摯に向き合う姿勢を部下に見せ、寄り添い、励まし、引っ張り、守る。前任のこういう姿を見てきた部下たちとは認識や価値観のズレが生まれていました。そしてそのズレを無視し(または気づかず)自分の考えや嗜好や正しさを押し付ける形になっていたのですね。
そして1人目や2人目の管理職に対する評価は、人によっては悪いものだったりしました。
ただ、この2人の管理職に共通したのは「認識のズレを面談などによって修正しようとする姿勢」があったことでした。最終的にわかり合えない部分があったとしても、プロセスには必ず「話し合い」がありました。このあたりが仕事にも部下にも向き合う姿勢として受け取られていたようです。
つまり、認識や価値観のズレが生まれるのは当然とした上で、一方的なコミュニケーションで終わらせていたのが3人目の管理職。そして双方向のコミュニケーションでそのズレと向き合っていたのが前任の2名の管理職だったということなのです。
人間性というと難しく聞こえるかもしれませんが、つまりは「向き合おうとしているか」ということではないでしょうか。誰しも得意不得意・能力や価値観の違い・育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない、などがあり、チームとして働く以上「違い」や「わかり合えなさ」は避けることができないものです。それを、言葉や姿勢や関わり方で「埋めようとする姿勢」の表れがコミュニケーションなのです。
まとめ
「なんだ当たり前のことを」と感じられることをあえて申し上げます。
「部下についていきたいと思われる上司」が、必ずしも会社が求める上司像とは限りませんが、「部下についていけないと思われる上司」が会社が求めている上司とは言えません。ほとんどの仕事はチームで行われており、営業という個の力が部署の結果を左右する業種であってもそれは同じ。会社が管理職に求めるのは「チーム(部署)としての成果」であり、その成果を出すのはチームメンバー(部下)です。そのメンバーに「ついていけない」と思われれば、結果は当然見えてきますね。
「違い」や「わかり合えなさ」は絶対に避けられないので、「完璧な上司像」や「求められる上司像の正解」は存在しません。人によって判断基準が違うのもデフォルトです。ですが、その違いに「向き合っているかどうか(=人間性)」で、「ついていきたいか、いきたくないか」を部下に判断されるし、部下のパフォーマンスを下げて成果を上げられない上司は会社からも厳しい評価をされる、というのは一つの事実です。
いやぁ…上司って、ほんとうに大変です。