ここでは、
自分が決めたこと=決断
人が決めたこと=命令
と定義することにします。
会社と個人、上司と部下などの関係では特に「命令」の場面が多く、自分の意思に反することをやらなければいけないと感じがちです。つまらない仕事の完成です。
人は自分で決めたことに対してはポジティブになることが出来るけれど、他人に決められたことは何かとネガティブになってしまうケースが多いものです。
たとえ命令でも、決めているのは相手ではない!?
たとえば、急なミーティングを行う場合
部下→「今日さ、上司がいきなりミーティングするとか言ってるんだよね。
早く帰りたかったのに…面倒くさいなぁ」
たしかにそう思うのでしょうね、本心なのでしょう。
ネガティブになってしまってます。
とはいえ、ぶつぶつ文句を言いつつも参加はするのでしょう。
なぜかというと、参加しなくては「いけない」から。
ここに一つ、ポイントがあります。
実はミーティングに参加しなくては「いけない」=「命令」と思っているのは自分であり
ミーティングに「参加する事」を「決断」している=自分で決めているという事実があるのです。
???
よくわからないですよね(笑)
要するに、
ミーティングに参加しなくてはいけない=「命令」と思っている
文句を言いつつも参加はする=参加を「決断」している
さてこの場合「命令」されているのでしょうか?
それとも「決断」しているのでしょうか?
これは「命令」と「決断」のどちらを大きくフォーカスするかで変わります。
▶︎命令の場合
上司がミーティングをすると言ったから早く帰りたかったけど、参加しなくてはならない。
▶︎決断の場合
きっと今月の売り上げ達成が厳しいからミーティングをするのだ。
たしかに今まであまり売り上げを意識せずに来てしまった…この部分が改善すればなんとかなるかもしれないから意見を伝えよう。
いかがでしょうか?
上記を見てあなただったらどちらの考えでミーティングに参加すれば気持ちが良いですか?
間違いなく「決断」して参加をするほうでしょう。
だって「命令」「決断」どちらにしても「参加する」ということに変わりはありませんし。
(「命令」だとしても結局「参加」を「決断」しているのですから…)
楽に考えるには「自分で決めた」ことにフォーカスする
やらされ感を感じる時=「命令」を大きくフォーカスする
自主的に感じる時=「決断」を大きくフォーカスする
やらされ感を感じる場合は必ず「相手が◯◯と言った」といった思考になります。
自主性を感じるの場合は「自分が◯◯をしよう」という思考になります。
人はどんな時にでも「決断」をして生きておりますが、特に仕事や組織の中では「命令」と感じる部分が多々あります。
たとえ「命令」だとしても、それを自分自身で「決断」した部分をフォーカスしていけば、やらされ感を感じずに生きていくことができるはずです。
やらされ仕事ほど、面白くないものはありません。
でも実は「やらされ」ていると決めているのは自分なのです。
考え方一つで、”やらされる”を”やっている”に変えることができる。
せっかく仕事をするなら、楽しい方を選びませんか?